ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 人さまの感想文

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 感想

2010/02/22 00:00
ゲーテってさあ。大味だよね。細かいこと気にしないってかさあ。
ゲーテは格言集がいいよね。実際、戯曲にも小説にもすぐ格言、警句が出てくる。本人も相当お好きだったようで、格言単独のものもかなり書いてるらしい。なんか、「僕の格言集」なんてノートを持ってて、ここぞとばかりに使おうとストックいっぱいためてたりして。

まあ、それはさておき、「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」読んだ。長い。マイスターというのはドイツ語で、親方、名人、英語のマスターと同じなんだけど、これは、主人公の苗字なんですね。僕はずっと「ヴィルヘルム先生」という意味かと思ってた。

で、そのマイスター君が、結婚するまでの話なんだが、別に特定のテーマはない。ま、職業に、恋に、夢破れていきながら、最後、青年時代を終えて結婚って感じの話。途中で登場人物が多くなりすぎて、つっか、誰と誰がどういう関係かもつれてわけが分からなくなった。ゲーテ自身も、「私にもこの作品は要約できない」なんて言ってるらしい。

テーマはないと言ったが、前半は演劇に命を燃やしていて、これがこのままテーマになるのかと思ったら、なんか急にやめちゃったりする。なんか結構、勝手に話進めてるというか、そういや、ファウストも後半の第二部はそんな感じだったよな。

印象的な人物がたくさん出てくるが、僕的には、マイスターを父とも恋人とも慕う少女ミニョンだなあ。もう、けなげで、出生から最後までかわいそうすぎ。せめてタイトルを「ミニョン」としてもいいじゃないか。(そりゃ無理だ)なんか妙になつかしい感じがする少女である。そういや、この小説に出てくる「美しいたましいの告白」という手記に感化されてヨハンナ・スピリは「ハイジ」を書いたらしいけど、なんかミニョンは、ハイジとクララを足したようなところがあるように思う。ちなみに一説によれば、クララのお父さん、ゼーゼマンさんは、ゲーテがモデルらしい。ちなみにゼーゼマン家のあるフランクフルトはゲーテの生地。それと、「ハイジ」の原作のタイトルは「ハイジの修業時代と遍歴時代」ってんだってね。あらま。

しかし読んでて思ったのは、やっぱり古い小説だよね。作りが、というか視点が。だからちょっと物足りないところもある。なんか用いる技巧がワンパターンというか。現代小説みたいに、自我の深いところや、その人独特の世界の見方、表現のしかたというのは出てこず、あくまで素朴。素朴の延長として立派な考えや洞察がある感じ。ま、その洞察や、警句も、たまーに、杓子定規つっか、常識的すぎて、うざいんだけどね。

そう、ゲーテ読んでてたまに、落ち着きがなくなっちまうのは、常識的すぎるってこと。なんか脱線やら間違いまで、包括してしまっているって感じ。それはゲーテの懐の深さであり、巨大さなんだろうけど、なんか「違うぞ! ゲーテ君!」て叫びたくなることたびたび。特に「これこれこういうことをしてしまうと、人は道を踏み外し不幸になるのです」なんてのたまわれると、ほっとけ、このジジイって言いたくなる。そんなところがこの小説にも二十箇所ほどあった。(多いわ)

正直、ゲーテに比べると、「人生の教師」なんていわれて得意になっているトルストイのほうが、まだわれわれと同じような欠点持ってるように思う。てか、ゲーテに比べたら、トルストイでさえ、子供に見えてくる。

それと「ファウスト」でも思ったんだけど、ゲーテって、面白く見せるってこと下手だよね。ユーモアもあるんだけど、まじめすぎるというか、真理を追いすぎるというか。よく言えば技巧に走ってないともいえるんだけど。「ファウスト」の前座の、団長、道化、劇作家の会話見てたら、二流の客が面白がるものなんてくそくらえ、みたいなこと劇作家に言わせているので、ちょっとゲーテ自身自覚してたふしがあるように思うのだが。
ゲイ漫画家の千歳アキラ様のゲーテの最高傑作小説の感想文をコピー投稿させていただきました。ご本人が消されたのか、ネットになかったからです。参考になる点が多くあると思います。
ちなみに手塚富雄氏によると、ゲーテは”ヴィルヘルム・マイスターの修業時代”を「ミニョンのためにこの作品を書いた」とはっきり言っているそうです。